フランシスコ 平和の祈り
主よ、わたしをあなたの平和の道具としてお使い下さい。
憎しみのあるところに愛を
いさかいのあるところにゆるしを
分裂のあるところに一致を
疑惑のあるところに信仰を
誤っているところに真理を
絶望のあるところに希望を
闇に光を
悲しみのあるところに喜びをもたらすものとして下さい。
慰められるよりは慰めることを
理解されるよりは理解することを
愛されるよりは愛することを
わたしが求めますように。
わたしたちは与えるから受け
ゆるすからゆるされ
自分を捨てて死に
永遠の命をいただくのですから。
負の感情とのつきあい方
怒り、恨み、嫉妬…
負の感情を「よくないもの」と思っている方もいるかもしれませんが、負の感情は私たちに大切なことを教えてくれているのです。
負の感情は、ここに何かが眠っているよ、というメッセージです。
私たちは自分が感じていること、考えていること等のすべてを認識しているわけではありません。(潜在意識についてはこちら)意識していないけれども、確かに感じていたり、反応していたりする部分があるのです。負の感情は、潜在意識からの「ここを見て! みつけて! 気づいて!」というメッセージです。
例えば、怒り。
怒りは大切なものを傷つけられたり、失ったりしたときに衝動的に起こる感情です。怒りを掘り下げていくと、悲しみや嘆きの感情に行きつくともいいます。怒りが起こったとき、「私は本当は何に怒っているのだろう」「本当に失いたくないものは何だろう」と考えてみて下さい。
嫉妬は、自分が欲しいものを他人が手に入れているときに起こる感情です。「私が本当に欲しいもの何だろう」と聞いてみて下さい。
負の感情は私たちが欲しいもの、求めていもの、失いたくないもの、でもそうとは認めたくないものを教えてくれるのです。
重要なのは、負の感情を抑圧しない、隠さないことです。どんなに抑圧しても、どんな奥深くに隠しても、何かの折にその影が顔を出します。その影の部分が自分を苦しめ、他人にも嫌な思いをさせます。この負の感情を認めない限り、永遠に続きます。
負の感情を認めて、受け容れて、気づいて、終わらせること。
これは方法論としてはとってもかんたんです。(心理学でいう投影という現象です)
負の感情が湧き上がってきたときに、「私、こんなふうに感じているんだな」と認める、「こんなふうに感じる私がいてもいいよね」と受け容れる、「私の本当に欲しかったのはこれだったんだ」と本音に気づく、「求めたものはちゃんと手に入っている」あるいは「そんなに求めなくても、もう大丈夫」と終わらせる。これだけです。
必要なのは、生身の自分と向き合う勇気と覚悟。負の感情の奥にあるのは認めたくない思いです。認めたくない自分、受け入れたくない自分がそこにいます。
それができたときの爽快感、目の前が開ける感覚を体験するとやみつきになります。ですが、その先に視界が開けることを知らないまま、暗闇の中を歩んでいくことは、苦しいこともあきらめたくなることもあるものです。
自分の闇を受け容れることができたとき、他人の闇を受け容れることができるようになります。闇を受け容れることが人間的成長への道です。
もし、喜びと幸せに満たされて、明るく楽しく生きることを望むなら、負の感情を捨てたり否定したりしないことです。負の部分、暗くて黒くてどろどろした部分もまるごと認めて、受け入れて愛し、慈しむことです。
運命を変える5つのステップ
「人生を変えたい!」
そう思っている方もいると思いますが、人生を変える方法は実はとってもシンプルです。
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
Be careful of your thoughts, for your thoughts become your words;
Be careful of your words, for your words become your deeds;
Be careful of your deeds, for your deeds become your habits;
Be careful of your habits; for your habits become your character;
Be careful of your character, for your character becomes your destiny.
思いが言葉になり、
言葉が行動になり、
行動が習慣になり、
習慣が性格になり、
性格が運命になる。
逆に辿れば、
運命を変えたければ、性格を変える。
性格を変えたければ、習慣を変える。
習慣を変えたければ、行動を変える。
行動を変えたければ、言葉を変える。
言葉を変えたければ、思いを変える。
思いを変えれば、運命が変わる。
思いが運命の種、思いが人生を動かしています。
ただし、思いはとらえにくく、自分が何を考えているのか実のところわからなかったり、「こういう思いを抱こう!」と思ったところで思い通りにはならなかったりするものです。
意識しやすく、変えやすいのは言葉と行動です。
自分で何が何を言ったのか、どんな行動をしたのかは明らかです。言葉と行動は観察することができます。
そして、言葉と行動は変化させることができます。内心どう思っていようが、言葉が変わればいいし、行動が変わればいいのです。
特に労力がいらないのは言葉です。
「よかった」と言えば、よいことが起こります。
「ありがとう」と言えば、感謝できる点がみつかります
「幸せ!」と言えば、幸せになれます。
言葉が人生を創造するのです。
でも、だからこそ、
「言葉に気をつけなさい」
Be Careful of your words.
人生を紡ぎ出すと思って、言葉を紡ぐことです。
それはいつか運命になるから。
自分軸をつくる
自分軸のある人、自分軸をつくる、軸がぶれない、等よく聞きます。
自分軸って何だろう? どうやったら自分軸を作れるのだろう?と考えてみました。
自分の軸ってどこにあるでしょうか?
自分の身体を頭から一本の軸が貫いていることをイメージしてみて下さい。
軸というからには、身体の中心にあるわけです。
寝返りをしたり、回転をしたりするときの中心が、自分の軸です。イメージできなければ、おふとんの上をごろんごろん転がるなり、バレリーナのようにくるんくるん回転してみて下さい。
頭のてっぺんから頭の中心、首の中心、胸の中心、お腹の中心を貫いていると思います。
つまり、頭で考えていること、口に出して言っていること、胸で感じていること、肚に落ちていること・腹が据わっていることがぶれていない状態が、「軸がある」「軸がぶれていない」状態です。
思考と言葉と感情と行動に一貫性があるということです。
自己一致ともいいます。
そう考えると自分軸をつくる方法はかんたんです。思考と言葉と感情と行動を合わせればいいのです。
思っていることを言えない、
考えたことを行動にうつせない、
言葉に出したことを行動しない、約束を守らない、
頭で考えていることと感情がバラバラ
思ってもいないことを言う、自分に嘘をつく
こういったことをやめることです。
素直になること。建前をやめて、本音で生きることです。
とってもシンプルです。
そんなこと言われても、いきなり生き方変えらない!と思い方もいるかもしれません。
かんたんに自分軸をつくる方法は身体からアプローチすることです。身体の中心軸を整えることです。
バランスの良い姿勢です。
足の上に腰がのって、腰の上にお腹がのって、お腹のうえに胸のって、胸の上に首がのって、首の上に頭がのっていること。
背骨のアライメントが整っていること。
上虚下実、つまり上半身は力が抜けていて、下半身が安定した姿勢。
ところで、この自分の軸はどこからどこまであるのでしょうか?
自分の頭のてっぺんから、足元まででしょうか?
その軸をもっともっと伸ばしてみて下さい。頭のてっぺんより高く、足元より深く、天高く、地の底まで。
自分軸は天と地をつなぎ、天と地に支えられているのです。
私たちの存在は天と地に支えられているのです。天と地すなわち大自然、そして天は父親、地は母親。私たちは大自然の中で父親と母親から産まれ、育まれ、支えられて生きている。
それを感じることが軸を安定させることです。宇宙から地球の中心まで軸を通っていたら、ぶれるはずがありません。
自分軸がゆらいでいる、ぶれいていると感じたとき、考えてみて下さい。
・バランスのよい姿勢ですか?
・思考と感情と言葉と行動は一致していますか?
・天地に、ご先祖様に、両親に、家族に、周囲の皆様に、支えられて生きていることに気づいていますか?
優雅な生活が最高の復讐
優雅な生活が最高の復讐である
The best revenge is to live well.
これが、ある時期の私を支えた言葉です。
今も好きな言葉です。
(この"to live well"を優雅な生活と訳したセンスはすごいと思う)
私は、長年、負の感情を燃やして、復讐のために生きて、自分も他人も傷つけて、ついに心も身体も動かなくなり、前に進むことができなくなりました。
当時の私は、モチベーションを上げるのに、負の感情を燃やす以外の方法を知らなかったのですね。(何と恐ろしい)
この言葉を知ってから、自分の中にむくむくと黒いものが湧き上がってくるたびに
「優雅な生活が最高の復讐」と言い聞かせていました。
(手帳の一番最初のページに書いたりしていました)
例えば、だれかに対して憎しみや恨みや嫉妬や復讐心が出たとき。
「どうしてこんな目に遭うの?」と思ったとき。
人生って、思うようにならないことも、理不尽なこともあるし、
でも、その境遇を嘆いても、落ち込んでも、しかたがないし、美しくない。
それならば、与えられた境遇の中で
人にどんな仕打ちをされようが、どんな運命が降りかかってこようが
最大限、美しく、華やかに、優雅に生き抜いてみせようではありませんか。
健康になる方法とは
高齢化社会、ということもあるのかもしれませんが、健康産業が花盛りです。
健康になりたい、病気になりたくないというのは人類普遍の願いと言ってもいいでしょう。
これほどまでに健康を望む人がいて、その望みに応えようとする人がいて、なぜ健康になれないのか?(何かの目的のために、不安を煽っている人がいるということもあるでしょうが)
健康になれないのは、健康になろうとするからです。
健康への執着です。
身体への執着です。
健康になりたい、という欲求は、まっとうなものですし、それはそれでいいのです。
ですが、「健康でなければ、幸せになれない」「絶対に病気になりたくない」になってくると、執着が生まれています。
健康か、病気か。
健康か、不健康か。
この二分が健康への欲望を生んでいるのです。
病気があれば健康でないのか。
一病息災という言葉もある通り、病気があってもそこそこ元気ならいいと思えたら、それでいいのです。
健康であるためには、自分を全肯定することです。
他人とくらべてどうであろうが、過去の自分とくらべてどうであろうが、今の自分はこれはこれでいい、と思えたらいいのです。
健康かどうかは自分で決めればいいのです。
というより、自分は自分でいいと思えれば、健康かどうかはどうでもいいです、たぶん。
健康でいることで、何をなしたいのか?
もっといえば、たとえ健康を害したとしても、生命を賭して成したいことがあるのか?
問われているのは、健康の使い道の方ではと。
情報断食のススメ
私は基本的にテレビを見ません。(でも、持っていますよ)
新聞も読みません。
ネットのニュースもあまり見ません。
テレビでやっている程度のニュースは周りの人が教えてくれるので、あまり困らないのです。
情報が溢れています。
情報を知っていれば何かいいことがあるような気がしますし、持っている情報が増えれば自分が成長したような気がするし、情報があれば問題を解決できるような気がしてきます。
何か課題があったら、とりあえずインターネットで検索し、本を掻き集めて、情報収集をして知識を仕入れて、いろんな方法を試してみたりします。
情報収集って基本的にはとっても大事なことだと思います。
ただ、情報や、情報を集めることに振り回されて、本当に大切なものを見失っていないかなと思うことがあります。
情報に振り回されるのなら、一度断ち切って自分の内面と向き合ったり、身近な方とじっくり向かい合って話したりした方が得られるものは大きいです。
情報が悪いのではないのです。
情報に振り回されることによって、失っているものがあるということです。
体験とか、体感とか、体得とか、関係性とか。
情報に振り回されているかも、と思ったら、情報断食がおすすめです。
テレビ、新聞、雑誌、SNS等
1週間とか期限を決めてやめてみると、自分がいかに時間を費やしていたのかわかりますし、「意外と大丈夫」と思うかもしれませんし、情報がありがたみがわかるかもしれません。